とよだの腹
宗教について (その4)「古典」
世界で一番売れた本って何だろう

一般的には「聖書」と言われているらしい
なになに 60億部も売れてるのか ほぉ
ちなみに2位は「毛沢東語録」とな これも ほぉ である

  日本なら「時刻表」あたり強そうだがな 相手にならんか
  いや待て「少年ジャンプ」があった 最高週は653万部も売れとるではないか
  創刊40周年か 一年50週として単純計算すると2,000回 
  平均300万部売れたとして60億部 良い勝負しそうだな
 
  まぁ内容が変わらん聖書に対してジャンプは毎号内容が違うしな
  比較してはならんか


何故 こんな話から始めたかというと
人間に詳しくなりたい ⇨ 教養を積まねばならぬ ⇨ まずは古典を読まねば
という思考経路である

本は人間の思考に多大な影響を与え続けているんでな
特に古典ってヤツは 長い年月を経て 時代の評価に耐え続けたものなんで
人間の本質にマッチしてると考えられる
(合ってなければ 淘汰されている)

特に 宗教を真面目に眺めてみよう月間 だったんでな
最強の古典であろう「聖書」を まずはじっくり読んでみようと思った次第である

みなさんは聖書を読んだことがあるか
「存在は知っている」「ちらっと見たことはある」という方が大半ではなかろうか

真面目な信者の皆さんには申し訳ない オイラもその一人である

出張でビジネスホテルに泊まると 机の引き出しに聖書がおいてあってな
ちらちらと何度か眺めた
ただ 夜の会議(飲み会)の後で いい気分になってる脳みそでは ちらちらが限界でな
まともに読んだこともない
そのうち 保健体育の奥義を深める為の「有料放送」の方に脳みそは向いてしまう

真面目な信者の皆さん 本当に申し訳ない
所詮 その程度の 煩悩まみれのオヤジ なのであるよ
(旧約聖書と新約聖書の違いすら 全くわかってはおらぬ)


聖書は 佐藤優の「新約聖書Ⅰ」(文春新書)を読んだ

  本当に理解したければ 原書を読まねばならぬ との真面目な意見はあろうが
  途中で飽きてしまうこと必至である
  難しいジャンルに挑むとき オイラはまず とっつきやすい本から読む
  漫画・図解なぞがあれば それに越したことはない

  なに 恥ずかしいとは思わん
  オイラの精神構造は中2から成長しとらんのでな
  中2のオイラが 面白いと思ってくれんと その後に続かない

  同志社大学神学部卒の佐藤優が解説してくれるというのだ
  読んでみようではないか

感想を述べる

  もう一度だけ繰り返しておく オイラ いろんな宗教の信者の方を否定・中傷する気なぞない
  いろんな方々の「価値観」を ひたすら敬意を持って受け入れる所存である

その 前提の上で
「あぁ この考え方が欧米中心に2,000年もDNAのベースに刻まれてきたんだなぁ」
そうなんだぁ という思いと
「まぁ ちっとばかりオイラの考えとは違うなぁ」
という 漠然とした違和感であった

  勿論 キリスト教を否定するなんて気は毛頭ない
  そんな まさしく「神をも恐れぬ所業」をできるほどの 教養なぞ ましてや覚悟なぞ
  全くない オッサンなのであるよ




まぁ聖書だけ読んで云々言ってもいかん
他の精神世界も覗いて見ないとな 「コーラン」も読んでみるか
仏教なら何だろう 日本なら「古事記」かなぁ

本屋を物色していると 阿刀田高 と出会う

 この 真面目か不真面目かよう分からんオッサン 
 いろんな古典を分かりやすく解説してくれている

 新潮文庫では「新約聖書を知ってますか」「旧約聖書を知ってますか」
 「コーランを知ってますか」「シェイクスピアを楽しむために」・・・
 何故かこれだけ角川から「楽しい古事記」

 このオッサンの簡にして素の論評が面白い

 曰く 旧約聖書はユダヤ王国建国史 新約聖書はイエスの伝記 コーランは親父の説教


 ・・・ほぅ  このオッサン 教養と覚悟を持って聖典を外から眺めとるなぁ
 しばし彼のガイドで精神世界の古典を旅してみようではないか


 そのうち オイラ ある古典と出会った
 それを読んだ時 聖書で感じた「違和感」が何であったのか気づいた

  (勿論 聖書はユダヤ教・キリスト教のみならず イスラム教にも影響を与えており
   世界で40億人もおられる それぞれの教徒の方の その精神世界に寄与している  
   大ベストセラーであることに敬意を払わぬものではない)





長くなりすぎたなぁ 
次回 「宗教について」最終回で どの本で あぁ っと思ったのか報告する
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宗教について  (その3)「巨大な思考空間」
何故 宗教について考えてみようと思ったのか


ひとつはISISであり 20年目の検証としてのオウム真理教である
歴史上 最も多くの人を殺してきたもの それが「宗教」であるという事実だ

そして反面 歴史上 最も多くの人を救ってきたもの それもまた「宗教」である

  以前 同僚の弟さんの葬儀に参列した
  キリスト教式の葬儀であった

  弟さんは不治の大病に冒され 余命幾ばくもなかったそうである
  心身ともに苦しんでいらっしゃったと聞く

  死の一週間前 弟さんは キリスト教の洗礼を受けられたいと仰ったそうである
  そして洗礼を受けられたあと 弟さんは とっても穏やかに死を迎え入れたのだと
  ご家族は仰っておられた

  あぁ これが 宗教の持つ「力」なんだなぁ

  参列しながら そう感じたのを覚えている
  自分も余命が幾ばくかの時期を感じたら 宗教に救いを求めよう
  堕落した俗物の代表のようなオイラが ふっとそう感じていた

  
  ・・・ん? ということは オマエは余命を感じているのかって?
  すまん まだ煩悩のほうが楽しくってな
  真面目に信心しようなんて考えておらんダメなおっさんである



2つめの理由は 池上彰と佐藤優である
現在の日本の「知的巨人」の双璧がこのお二人であろうことを認める方も多かろう


  藤原正彦 というオッサンが 以前「国家の品格」っちゅうベストセラーを書いた
  その本だったか次の本だったか忘れたが オッサンが言ってたことが妙に心に留まってな

  彼は「国家は真のエリートが動かさないといかん」と言う
  真のエリートとは どんな人のことを言うか それは
  『歴史や哲学や文学や芸術や科学など なんの役にも立たんような教養をたっぷりと身につけた人間』
   が 『そのものすごい教養を背景に圧倒的な大局観と総合判断力を持っていること』 だという
  そんな連中が 『いざとなれば国家・国民の為に喜んで命を捨てる気概を持つ』
  ことが大事だと続ける

かなり右っぽい発言だがな
「人間力」ってなんだろう と思索していたオイラには 腹に落ちる部分もあった
人間力を測られる 思考・判断・行動する際に 圧倒的な教養って そのベースになるものなんだ


知的巨人のお二人の話に戻る

とめどなく広い視野・教養をお持ちの池上氏と
とめどなく深い視野・教養をお持ちの佐藤氏
このおふたりが同じく言われていることは
  「人間に詳しくなりたいと思ったら まず宗教を知ること」
であった

なるほど 宗教について考えてみねばならぬ


何千年もの間 人間の思考に多大な影響を与え続けている「宗教」たる化け物
その本質とはなんだろう

教養を積まねばならぬ と考えたオイラは そのベースとなろう巨大な思考空間を
外から眺めてみようと思った次第である




甲子園を予想する 2015春
「宗教について」を掲載中であったが 気がつけば明日から春の甲子園ではないか
中座して 予想大会を開く

  (いかんっ!     とはいえ 事前情報を全く仕入れていない 今回も外しそうである)

ルールを決める

16 強 ・・・各3点 (計48点)
 8 強 ・・・各3点 (計24点)
 4 強 ・・・各3点 (計12点)
決勝進出・・・各3点 (計6点)
優勝  ・・・ 10点  (計10点)     合計100点   合格60点



それでは いこう

16強  九州学院・大阪桐蔭・常総学院・今治西・静岡・岡山理大付・敦賀気比・仙台育英
     浦和学院・英明・県岐阜商・近江・天理・健大高崎・二松学舎大付・豊橋工

8強   大阪桐蔭・常総学院・静岡・敦賀気比
     浦和学院・県岐阜商・健大高崎・二松学舎大付

4強   大阪桐蔭・静岡・県岐阜商・健大高崎

決勝進出  大阪桐蔭・県岐阜商

優勝   県岐阜商


どうだっ!


岐阜は 良いピッチャーがいるらしいしな
大阪桐蔭は昨夏捨てて失敗したしな
九州学院と浦和学院は 入れといてやらんといかんしな

終ったら反省会を開く


宗教について (その2) 「憲法」
  
   「人間に詳しくなりたい」

見渡せば 目の前には様々な景色が広がっている
その多くが 人類が創り出したもの である

今 ショッピングモールの喫茶店にいる

この建物も 目の前のコーヒーもテーブルも椅子もガラスも 
地上にあるものに人間が付加価値をつけ作り上げたものである

隣でお母さん方が会話をしている

その言葉も いや 傍らのガキでさえ 人間が作り出したものである

無論 こうやってブログをしたためているこのタブレット(ハード)も
OSもソフトも人間が作り出したものである


すごいな 人間って

どの微生物が いや その前のタンパク質が 指で触れれば画面が変わる機器を将来作り出すなんて
考えただろう
たかだか何万年か何十万年か知らぬが 人類が誕生してそのくらいの期間で
人間はとんでもない世界を作り上げてしまった




今の地球上の人類の思考に 最も影響を与えているもの それが宗教であろうと思う

では 宗教とは一体何なのか

いろんなことを考えてみた
  
  宗教学者の方や 真面目な信者の方々からは顰蹙を買うかも知らん
  許してほしい
  当方 そこいらの 単なる浅学浅慮なオッサンなのである



宗教には大きく2つの側面がある


一つ目は「精神の救済」である

  人間って なまじ頭が良くなりすぎたからなぁ  いらんことまで考えすぎる
  何も考えない生き物なら楽なんだがなぁ
  考えすぎるので 人生が辛くなる

  そして 死が怖くってしょうがない
  どんどん周囲の仲の良かった人間が死んでいなくなってしまう
  自分も死んだらいなくなってしまうんだ
  いや こりゃ怖いし哀しい

  そこで神様が言ってくれる

  「大丈夫 死んだら天国や極楽が待ってますよ (今 頑張ってりゃね)」

  ウソか本当か判らんが 天国ってやつがあるらしい
  ( いや 怒らんでくれ オイラ 天国に行ったこともないし
    天国に行ったってヤツと会ったこともない 
    すまん 経験がないので分からんだけなのだ )

  ただ 神様がそう言ってくれるだけで精神は救済されるのだ
  これは有難い話である
  宗教の一番の価値はこれだろうなぁ


二つ目は「善悪の判断基準」である

  頭が良くなりすぎた人間は いろんなことを考えすぎる と書いた
  100人いれば100通りの考えがある

  ただなぁ 自己の欲望だけでそれぞれが生きだすと大変なことになる
  人間なんて弱い弱い生命種なんである 仲良くしないとすぐ滅びる
  腹が減ったから隣の人を食いましょう なんてことになったら一発である

  そこで 人間関係のルールを作った
  権威付には「人間以上の存在が決めたことだ」としておかんと誰も言うこときかん
  ルールを破ったら地獄に落ちるぞ と言っておけばみんなが守るだろう

  「法律」のはるか前に「宗教」は成立しているのである

  これを作ったヤツは頭いいなぁ
  いや やはり彼こそが人智を超えた「神」であったのかもしれない

  
  ところがなぁ 全世界統一で神様がルールを作ってくれてたら問題なかったんだが
  あいにく当時は車も飛行機もネットもなかったんでな
  地球のあちこちで それぞれが神様作っちまった
  (地球の裏側で神様が何言ってるかなんて 裏側の人間からしたら知りようがない)

  更に更にである ルール徹底のためには 一神教でなきゃ都合が悪い
  「他の神様の言ってることは邪教である この神様の話だけ聞きなさい」
  と しておかんと収集がつかん

  イエスを殺したのはユダヤ教徒である ユダヤ人は許さん
  とか 一部の跳ねっ返りが暴走してホロコースト引き起こしたり
  俺に徳など求めるな と焚書抗儒やったり ・・・

  いや 神様が悪いんじゃない 人間が「煩悩の塊」すぎるのだ
  他人の価値観を容認できんと おかしなことになる
  

日本人は どうなんだろうな 「無宗教です」ってヤツが多いか

そんなこともなかろう 大半の日本人は初詣に行くしなぁ
クリスマスって 愛を確かめあわねばならぬと大騒ぎしたり(性愛メインだが)
一神教じゃなく「八百万(やおよろず)の神」って感じか

山や海や 森や川や 太陽や星や に神は宿るって感じだし
親や祖先は神様だし それぞれの心の中にそれぞれの神様がおられる



・・・今の日本人の宗教って 「日本国憲法」じゃなかろうか 判断基準にしてるしなぁ

  憲法20条に「信教の自由」てぇのがあってな
  まさしく多神教OK 
  それぞれの価値観を大事にしましょうね 他人の価値観も認めましょうね ってヤツである

安倍一派は異教を信じてるんだろうなぁ だから「憲法は邪教だ」と改憲したがってるもんなぁ



いずれにしても 人間が生きていく上において「精神の救済」「ルール」は大切なんでね
宗教ってやっぱり必要なもんだと思うよ



まとまってないが 死への畏れ での会話を最後に記す

「人間は致死率100%の生き物 大丈夫だ キミひとりじゃない
 キミの家族も恋人も友人も全員死ぬ だから死を怖がらずに
 生きている間に何をしようか 考えたほうが有意義だぞ
 この世に死ななかった人間なんて一人もいねぇんだ!」

「でもね先生 死ななかった人間は一人もいないかもしれないけど
 まだ一回も死んだことなない人間が この世にはまだ70億人も残ってるんだ
 死って怖いに決まってるじゃない!」

どちらも正答である

死を恐れずに 死を畏れて 生ある今を一生懸命楽しく生きれれば素晴らしいと思う

さんま師匠の名言があるではないか

  「 生きてるだけで 丸儲け 」

IMALU嬢の 命名理由であるそうな     なるほど


宗教について (その1)「三千院」
   🎵京都 大原 三千院  
    恋に疲れた 女がひとり
    結城に塩瀬の 素描の帯が
    池の水面に揺れていた 
    京都 大原 三千院
    恋に疲れた 女がひとり 
🎵

        ( 「女ひとり」 詞:永六輔 曲:いずみたく )


今から40年ほど前 高校の修学旅行で京都に行った (高1の2月)
九州を出るなんて経験は それまでの人生で一回か二回しかなかったんでな
異様に興奮したのを覚えている

何より 親がいないのである (教師はおったが) 
こんなに開放的なワクワク感があろうや (亡き両親へ 親不孝ひらにご容赦を)

更に我が校の修学旅行はフリータイム満載でな
仲間達だけで勝手に計画を練っていいという夢のようなシステムであった
無論我々は授業そっちのけでガイドブックを読み耽り
「京都作戦」の戦略書作成に平日の授業時間の殆どを費やした

特に数学の授業の時は黒板を全く見もせず作業に没頭しておった
数学は ちょうど「三角関数」の頃でな
オイラ 算数は得意なガキであったが 東大に行くのはや〜めたっ と思ってた時だったので
数学を捨ててしまった 私立文系には数学は要らぬ

  その後 数学の授業は教師の言葉が異星人の言葉に聞こえるほど ワケ分からなくなってな
  テストでは4点とか8点とかばかりだった なに 勘でも1問くらいは当たるもんである

  しかし 読者の方に学生さんがおられたら この手法はお勧めしない
  何より 「数学」という魅力的な学問の悦びを知らずに学生生活を終えたのは
  もったいなかったなぁと反省しておる


その修学旅行は 大げさに言えば「人生の分岐点」になった旅となった


ガキの薄っぺらい野心 オイラは「人を動かせる人間になる」ことを人生の目標にしていた
その為のステップとして 県内一番の進学校から東大に行く それは必然であろうと考えていた

  どうだい 嫌な奴だろう
  少なくとも友達にはしたくないタイプだなぁ
  ただ 「裏とよだ」全盛の頃でなぁ 
  彼の能力を持ってしたら それくらいは実際 可能であったろうと思われる

  「表とよだ」は 裏にズルズルと引きずられて中学まで生きてきておったしなぁ

しかし 高校に入って一週間でその野心は頓挫する
「こいつらには敵わない」
我々(裏と表)は そう結論付けるに至る

  何が「かなわん」と思ったか
  真面目に学問に取り組む能力である 勉強に集中する 努力できる能力
  とでも表現しようか
  思い上がりの全盛期の頃である 頭で負けるなんてちっとも思ってなかったが
  「努力できない」ヤツが 「努力できる」ヤツに 勝てっこない
  それくらいの分別はついた

あっさり 学問で身を興すのは断念する

  そして もっと悪い野心が身をもたげる
  「頭が良い奴を動かせればいいだけの話だ」
  それぞれの分野 勉強であったり スポーツであったり ユーモアであったり
  金儲けであったり 自分より長けた人物は世の中に山ほどいるのである

  それぞれの勝負時に それぞれに長けたヤツと組めればいい
  多方面の勝負に勝利するには それが最良の策である
  自分の能力を高めるより 他人の高い能力を使った方が展開が早い・・・


    書きながら嫌になるなぁ 実にドス黒い裏とよだの野望である
    まさしくガキの狭量さがにじみでておる


ただ 表とよだ は もう少しだけ真人間であったようだ

  彼は他人の笑顔が大好物であなぁ
  自分の利 と言うより 相手がその能力を発揮できる そんな場を設定できれば
  笑顔が溢れるなぁ とワクワクしておった
  自分より優れた人間を見て「悔しい」と思えれば 成長したんだろうが
  「悔しい」と思う前に ポヨ〜ンと「憧れ」を抱いてしまうのだ
  
  自分の野望のために他人を使おうという「裏」と
  他人のキラキラした才能を輝かせてワクワクしようという「表」
  (まぁどっちにしても上から目線ではあるが)

  裏・表 の とよだ連合軍は 目標を変える
  東大に行く(エリート街道を目指す)から 人間力を磨く に あっさりとシフトチェンジする
  仲間たちの才能を発揮させる場を創造するために必要なもの それは
  「圧倒的な人間力」と確信していたからである


・・・ここまで書いて 実際のオイラをご存じな方が読者におられれば 秒殺でツッコミが入るやもしれぬ
「バカ言うでない 我々はオマエに人間力など感じたことなどないわ」 とか
「40年かかって その程度しか伸びんかったのか 」 とかな

繰り返す このブログは高尚なエッセイではない
プータローのボケ防止の日記 戯れ言である
書き手が何を書こうが 書き手の勝手である キミたちがどう思おうと知ったこっちゃない
(・・・すまぬ 人間力の欠如を露呈しておるなぁ)


  人間力を磨くとは具体的に何か
  「人間に詳しくなること」 である
  東大や京大 一橋・東工大・医学部 に毎年100人以上送り出す神童集団の中で
  偏差値はともかく 人間に詳しくなることに関しては 負けねえんじゃないか
  
  いや 「人間力にかけてはこいつらには負けん」 という
  強烈な妄信・過信であった
  中学までお山の大将を張ってきた ガキの思い上がりが その過信を生んでおった

  
中学までと違い 高校は面白かった 特に我々の高校は面白かったと思う
学校側は 我々をガキではなく 一個の人間として遇してくれていた気がする
生徒の自主性 一人一人の個性を押さえつけるのではなく 自由にさせていてくれた

今にして思えば そんな大人側の包容力を気付きもせず
PTS(親・教師・生徒)の会合の席で オイラは
「大学合格が第一 との方針が強すぎる」「高校生活で一番大切なのは人格形成だ」
と論陣を張った記憶がある 





修学旅行に話を戻す 

ここでオイラは完全に打ちのめされる

  ( ここで いろんなエピソードを書いていたが 読み返すと長くなりすぎたので 割愛する )

16年間 けっこういろんな経験をしてきて 同級生より「人間に詳しい」と自負していたが
全県下の市町村から集まってきた500人のお山の大将たちは それぞれに確固たる人格を有していた
家庭や学校という枠組みを離れ パーソナリティのみのガチンコ勝負となった数日間は
自分がいかに大人たちの庇護のもとに安穏とした人生を過ごしてきたか思い知らされた

今思えば 個性の違い 生き様は百人百葉 それは当たり前のことなのだが
その時は 彼らの背負ってきたもの 経験してきたことに対し 何ら言葉を発せられなかった

  俺はガキだ なんの苦労も知らん

自分のアイデンティティーが崩壊していくのを感じていた




さて 長い長い長い前段を終え やっと本論に入る


冒頭の「女ひとり」は1965年の作である
当時 永六輔は 中村八大 や いずみたく と組んで名曲をたくさん世に送り出している
主だったものを挙げる

  「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星を」(坂本九)、
  「遠くに行きたい」(ジェリー藤尾)、「帰ろかな」(北島三郎)
  「こんにちは赤ちゃん」(梓みちよ)、黄昏のビギン(水原弘 ちあきなおみ)
  そしてデューク・エイセスによる「おさななじみ」「いい湯だな」「女ひとり」
   ・・・

オイラが ガキの頃発表された曲たちである
ある種の童謡のように 体に馴染んでいたんだろうなぁ
「京都作戦」を立案するに当たり オイラはどうしても「三千院」に行ってみたかったのである


アイデンティティーの崩壊したオイラは 翌日 雪の京都 三千院の参道を歩いていた
底冷えの寒さだった 

今でも覚えている  
その時 強烈な妖気 オーラ 霊気を感じた
「宗教があなたを救ってあげましょう」
そう神様か仏様かわからんが 言ってる気がした

  昨今のISISや20年前のオウム真理教 
  学のある若者たちが なぜそんなところに 吸い寄せられていくのか?
  といった論調のコメントが相次ぐが オイラには分かる気がする

  あの霊気だ あの魅惑的な「救ってあげましょう」の霊感だ

    無論 イスラム教とイスラム国 真面目な宗教とオウム真理教を同一視するなんてことは
    まったくない!  ここだけは声を大にして言っておく

  ただ 「宗教」のもつ 人智を超えた力 それを感じた瞬間であったことは間違いない


  
では その時 オイラは天台宗の仏門に入ったか   そんなことはない

いまだに 「悟り」とはほど遠い煩悩まみれの堕落した人生を歩んでおる


その時 圧倒的な霊気に触れ 畏れを抱いたオイラが次の瞬間思ったこと それは

  「 宗教は怖い 」

であった

畏怖の念 とでも言えばいいか このまま宗教に帰依するとオイラはオイラでなくなる
ガタガタ震えながら そう感じたのを覚えている


次回以降 「宗教について」バチ当たりなオイラが考えていることを書いていく
 
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